秋の好きな記憶たち

  • レアですよ。
    あ、そういえば、この時良かったよね。 そういう記憶たちを詰め込みます。気ままにね。

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存在価値

卒業生からメールがきた。

「先生、生きていたくない。わたしの存在価値はなに。」

彼女はうつ状態が続いていて、ときどき相談にのっている。

わたし自身も若いころ、自分の存在価値が感じられずにむなしくなったことがあった。

自己肯定感が低かったのだと思う。

もっと簡単にいうと「わたしなんていなくたっていい。」「わたしなんて生きている価値のない人間だ。」=「自分のことを好きになれない。」という気持ちがあったのだと思う。

それはきっと、わたしの家庭環境や成育歴に問題があったからだ。

でも、カウンセラーと話していくうちに、もうそれは過去のことで、戻れないんだという諦めがついた。

いい意味の諦めだ。自分の過去を受け入れて、次に進むことにしたのだと思う。

わたしを殴ったり蹴ったりして育てた父にも、父なりの理由があったのだということを今は理解している。

そしてわたしは、自分で自分のこれからの人生を歩くことにした。

こうやって言葉にしたら簡単だけれど、何年も何年も悩んだり泣いたりして、そういう結論にいきついた感じだ。

あのころは「もっと自分がこうだったら。」「もし自分がこういう育てられ方をしなかったら。」「もしもっと周りがわたしにこういう風に接してくれたら。」「もし自分がもっと頭がよかったら。」と「もし」ばかりの世界に生きていた気がする。

でも、「もし」とは理想の世界だ。

もちろん中には、現実的にかないそうな理想もあるとは思うが、多くはそう簡単に解決できないものだ。

そういうとき、本当はそこに立ち止まって泣いていてもしかたない。

「今のわたしはこれしかできないけれど。」「わたしにはこういうつらい過去があったけど。」それでも「今できることをする。」という考え方が現実的なのだろうと思う。

そして、その現実的な世界に生きるしかないんだ、と思ってから、わたしの世界は変わった。

めそめそ泣いて、ベッドにもぐりこんでいた毎日から、カウンセラーの指示で日記を書くことになった。

家事を1つでいいから毎日続けてこなすことも宿題だった。

「これに意味があるんだろうか?」と思いながらも、カウンセラーの指示に従ったのがよかったのだろう。

洗濯をし、食事をしっかり作るようになった。

理想はひとまず置いておいて、今日やらなければならない普通のことをただ事務的にこなしていった。

ちょっと忙しくなったので、疲れたけれど、余計なことを考える暇がなくなっていった。

寝るときには、疲れていたせいかぐっすり眠れた。

最初のころの日記には「先生、疲れました。今日も仕事にいって、食事をつくりました。これでわたし、元気になるのかな。」などという文章がならんだ。

あれから何年経っただろう。

すっかり元気になって、存在価値があるのかどうかはわからないけど、そういうこと自体をあまり考えなくなった。

現実に生きることが普通になった。理想を追い求めて苦しくなることが減った。

毎日、普通に仕事にいき、普通に家事をして、よく眠る。

こういう習慣が身についていった。これがわたしの当り前になったのだ。

これを何年か続けていくうちに気づいた。

誰もが「わたしの存在価値は○○ですよ。」とすぐに言えるわけではないのではないか。

存在価値があるかどうかはわからないけど、自分の人生を受け入れてその日その日を生きているのではないか。

メールをくれた彼女は、まだ若いのでなかなか理解できないかもしれないし、わたしはカウンセラーではないので、間違ったアドバイスはできないと思っている。

ただ、いつか、彼女の状態を見ながら、わたしが歩いてきた道を話そうと思う。

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