秋の好きな記憶たち

  • レアですよ。
    あ、そういえば、この時良かったよね。 そういう記憶たちを詰め込みます。気ままにね。

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父には父の辛さがあった

わたしはどうしてこんなにも父に嫌われるんだろう。

いつも疑問に思っていた。

父に褒められようと、小さいながらに一生懸命頑張ったつもりだった。

テストで95点をとると、一番最初に思い浮かぶのは、父の姿だった。

わたしは、帰りに道に父に褒められる姿をなんパターンも想像して帰った。

「おお、よくやったな。」だけかもしれないし、

「この次も頑張れよ。」という言葉がつくかもしれない。

もしかしたら、クラスで何人くらい95点をとった人がいたか、について聞かれるかもしれない。何人くらいいたんだろう。できれば少ないほうがいいんだけれど。

そんなことを考えた。

でも、父はほとんどの場合、その期待を裏切った。

「お前はばかか。なんで残りの5点をとれなかったんだ。こんなんで喜ぶな。

 いいか、北大を目指すな。北大なんてバカでもいけるんだ。

 小学校で全部100点とれないなら、北大さえも無理だぞ。」

父はよく、『北大』という言葉を使った。

わたしは小学生の3年生くらいには、すでに「北大くらいじゃだめなんだって。」という言葉を友達にも言うようになっていた。

多くの友達はきょとんとした顔で「ホクダイってなに?」と聞いた。

その話を父に伝えると「北大を知らない友達と付き合うな。そんなバカは相手にするな。」と言った。「バカの中にいると、もっとバカになるぞ。」それも父の口癖だった。

父親は自分が慶応大学を出ていることを、ずっと隠していた。

わたしが何度も「お父さんはどこの大学を出たの?」と聞いても、「恥しくていえないようなところだ。」を繰り返した。「お前は恥しいところへ行くな。東大にいけ。」と言った。

父は双子だった。

2歳の時に父だけ養子に出された。

母から聞いた話だと、父は迷惑をかけてはならないと、一生懸命に勉強したそうだ。

もともと勉強が好きで、成績も良かった父は、大学進学を希望していた。

でも、私立だとお金がかかるので、国立を狙っていたらしい。

大好きな剣道もやめ、野球もやめ、囲碁もやめ、勉強に専念していたと聞いた。

結婚してからも父親が夢にうなされて飛び起きる姿を、何度か母親は見たという。

「どうしたの?」と聞くと「いつものだ。夢だ。」と答えた。

いつもの夢は、大学に落ちる夢だ。

父には、父なりの辛さがあったのだ。

父にも、辛い幼少時代があったのだ。

わたしは父に嫌われていたのではなく、過剰に期待されていた。

自分のようにはなってほしくないという、愛情の裏返しだったのかもしれない。

でもわたしはそんなに優秀じゃなかったし、父親の過去について想像し、その辛さを理解するなんていう考えは浮かばなかった。

わたしはただ、北大にさえもいけない自分を情けなく思った。

なんて頭の悪い人間なんだろうと思った。

ただただ、申し訳なく思った。

あの時はまだ、『最低でも北大に行かないとだめだ。』というこの言葉の影響が、

こんなにも長く自分に影を落とすなんて考えてみもしなかったけれど。

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